政治経済

民間企業の社会人1年目が様々なトピックで言いたいこと言っちゃうブログです。

靖国参拝をしたので書いてみた。

 本日、靖国神社に参拝してきました。

 

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そこで、最近話題になっていた靖国神社のあり方」について思うところを書きました。

 

できるだけ読みやすいように簡潔に書くことを心がけているので、さらっと一読していただければ幸いです。

 

 

 

🔶靖国神社の成り立ち

西欧列強諸国がアジアの国々を植民地化していた19世紀に、日本は列強による植民地化を回避するために、列強に匹敵する国力を備える近代国家を目指しました。

 

日本が近代国家として大きく生まれ変わろうとする明治維新の時代、国内は新政府派と旧政府派に二分し戊辰戦争をはじめとする内乱が勃発し、多くの命を失いました。

 

そこで、1869年6月29日に明治天皇の思し召しにより、「国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊を慰め、その事績を永く後世に伝えること」を目的に招魂社が創建されました。

 

これが現在の靖国神社に続きます。(※1879年6月4日に「靖国神社」に社号が改められました。)

 

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🔶靖国参拝への非難

靖国参拝を非難をしている国は中国と韓国の2国しかありません。また、国内でいうといわゆる左翼と言われる人々です。その左翼側の意見には「中国と韓国が嫌悪感を示すから」というものが多くあります。つまり、靖国参拝への非難ポイントとしては「中・韓が非難している」ということに集約できそうです。

 

それでは、非難の主な理由は何か。

 

それはA級戦犯が合祀されているから」というのは建前で本当のところは「政治的な外交カードの一つとして考えているから」だと思います。

 

 

何故ならば、中・韓が日本の総理大臣の靖国神社参拝を非難し始めたのは比較的最近のことだからです。1951年から日本のほとんどの総理大臣が靖国参拝を行ってきましたが、国際的(中・韓から)非難を浴びることはありませんでした。

 

それを決定づけるのはこれらの事実だと思います。

 

いずれの場合も中・韓から何の批判もありませんでした

 

もしも、中・韓による首相の靖国参拝非難の理由がA級戦犯の合祀」「平和を願う純粋な心から」であれば、上の事象に対して直ぐさま大バッシングを日本に食らわせるはずでしょう。バッシングが遅れたのは「たまたま気づくのが遅かった」などの言い訳は通用しないですよね。

 

中・韓が強く非難するようになったのは、1985年8月15日に中曽根総理大臣が公式参拝してからです。この時、朝日新聞は中国特派員に繰り返し「日本の軍国主義化」を吹聴させ、紙面でも連日「反・靖国キャンペーン」を行いました。

 

また、同様に社会党(現社民党)も活動し、田辺誠書記長ら訪中団は中国首脳に対して、「日本が軍国主義化を始めた」と訴えたことで、中国は靖国問題外交カードに有効だと認識したのです。

 

その際の中国の公式コメントは「戦犯を祀っている靖国神社への参拝は侵略戦争の害を受けたアジア近隣諸国を傷つける」というものでした。

 

 

一方で、この頃韓国には、靖国問題は日本の国内問題」と冷静に考える空気が、政府・マスコミともに強く、首相の参拝に対する批判はほとんどありませんでした。

 

韓国の靖国参拝批判はこれより後のことなのです。

 

これ以降、中・韓が日本の政治家や総理大臣が靖国参拝することを非難し始めたわけですが、事実を踏まえると。中・韓の靖国批判のタイミングからして、批判理由が不純であることに気がつきますよね。

 

 

上述で、非難の主な理由は「A級戦犯が合祀されているから」ではないという旨を言ってしまいましたが、A級戦犯合祀についてもここで少し触れておきます。

 

🔶A級戦犯合祀について

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東京裁判A級戦犯とされ、処刑などになった14人が、終戦から33年経った1978年10月に当時の宮司の判断で靖国神社に合祀されました。

 

ちなみに、東京裁判では、A級・B級・C級戦犯と分けられています。A級・B級・C級が罪の重さの順であるという誤解が多くあるようです。しかし、これらは罪の重さの順ではなく、罪の種類における分類であります。

 

A級:「平和に対する罪」

侵略戦争の計画・開始・遂行など「平和に対する罪」を犯したという認定。ちなみに、若干本論から逸れますが、戦争開戦時、国際法上「交戦権」は認められており、日本の戦争指導者を裁くことができなかったため、戦勝国が事後法で無理やり日本の戦争指導者を裁きました。(※事後法禁止の法理を逸脱)

 

B級:「通常の戦争犯罪

従来の戦時国際法に規定された戦争犯罪という認定。

 

C級:「人道に対する罪」

→殺害・虐待などの「人道に対する罪」を犯したという認定。

 

では、A級戦犯の合祀を行うことができたのはなぜでしょうか。

 

それは、1952年発効のサンフランシスコ講和条約11条(※以下に条文掲載)に定める手続きに基づいて、1958年までにA級・B級・C級戦犯が赦免となり釈放されたことが大きく作用していると考えられます。

 

サンフランシスコ講和条約 第11条条文

『日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。これらの拘禁されている物を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した一又は二以上の政府の決定及び日本国の勧告に基く場合の外、行使することができない。極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限は、裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定及び日本国の勧告に基く場合の外、行使することができない。』

 

これにより、戦犯受刑者ですでに処刑されている方々は『公務中の死亡』と扱われるようになりました。つまり、「法律上は戦争犯罪者が日本にはいなくなった」ということです。

 

ちなみに、この時、日本全国で戦犯釈放運動が広がり、約4000万人の署名が集まったようです。ここで、驚きだったのが当時の日本の人口が8454万人であったことです。成人のほとんどが戦犯釈放を切望していたということが分かります。この強い国論により国会を動かし、決議までもっていったという過去があります。

 

 

🔶靖国神社のあり方議論

上で簡単に説明した内容なども踏まえ、現在靖国神社のあり方」が世の中で話題になり議論されています

 

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この議論の最大の目的は天皇陛下をはじめ、日本の政治家や総理大臣の靖国神社参拝を可能にさせるため』にあります。また、その中において、「中国と韓国に一定の配慮をするのかしないのか」という点もポイントになっています。

 

現在話題になっている具体的な靖国神社のあり方」を示す案には以下のものがあります。

これらの案において、違いをざっくりと表すのであれば、

 

靖国神社の現体制を変え、公人の参拝を可能とするのか』

靖国神社の体制を変えず、公人の参拝を可能とするのか』

『公人の靖国参拝を第一優先で考えるのか』

『英霊のためということを第一優先で考えるのか』

 

にあります。

 

本来はこのように明確に区別することも難しいのですが、あえて乱暴に分けさせて下さい。

 

 🔶私の意見

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私の意見としては、

 

靖国神社の国立化』に賛成。

A級戦犯分祀』に反対。

靖国神社への誤解払拭と理解促進』に賛成。

 

現在のように、一宗教法人に国の英霊を祀ること自体が世界の常識から逸脱していると思います。国家の義務として、国のために尊い命を捧げた英霊を祀るということをしなければなりません。

 

一宗教法人ではなく、日本国としてお祀りすることが筋ではないでしょうか

 

これは、今後も国のために命を捧げた方々が生まれたときに、その御霊をお祀りするためにもすべきことです。

 

また、A級戦犯分祀に関してですが、A級戦犯という言葉自体、東京裁判での判決に未だに振り回されているという感覚を持ちます。

 

上述した通り、東京裁判で有罪となった戦争犯罪者は1958年には赦免されています。したがって、東京裁判での判決を踏襲し、A級・B級などの決められた事に振り回されなくて良いと思います。

 

それであれば、現在の国会で(日本オリジナルで)戦争指導者を確定させ、その方々のみを分祀すれば良いと考えます。そうすれば、公人が参拝できる可能性は高まるのではないでしょうか。

 

戦争調査会がGHQに廃止されてから、日本独自の戦争総括は未だに完遂されていないということからも、行うべきだと思います。

 

そして、最も重要であると考える靖国神社への誤解払拭と理解促進」についてですが、靖国神社がどういった歴史をもち、そこへの参拝がどのような議論を起こしてきたのかについて正しく理解することが広がっていません。まずは靖国神社を正しく理解するべきです。

 

また、「正しい理解」には日本の近代史も正しく理解する必要があります。ここでの『正しく』とはGHQによるWGIP自虐史観に影響されず』にという意味を込めています。

 

そして、『英霊のために』ということを最重要視しなければいけないと思います。手段が目的化してしまってはいけない。公人の参拝が可能となっても、英霊に失礼な形になってしまえば参拝の意味がありません。

 

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🔶最後に

今回の私自身4度目の靖国神社参拝において、今後も靖国神社をめぐる議論には日本国民として目が離せないと改めて感じました。また、靖国神社を参拝することは、お盆に先祖のお墓参りすることと少し違った気持ちになります。

 

もちろん、両方とも先祖に対する尊崇の念、感謝の思いを伝える行為ということに変わりはありませんが、大きく異なるのは「ミクロな視点」か「マクロな視点」かというところです。

 

言うまでもないですが、靖国参拝には「マクロな視点」、日本全体という大きな視点が必要になります。どちらが先かの議論になりますが、靖国参拝によって「私」から脱し、「公」を思い考えることができるようになることも大いにあると考えています。

 

全体主義ではありませんが、日本国という国家に属する一日本人という事実を再認識できる場だと思っています。だからこそ、靖国神社について理解し、参拝することが、「国益」を考えた行動をしたいと思うきっかけの一つになりうると考えます。

 

だからこそ、私は今後も周りを巻き込んで靖国神社へ参拝して行きたいと思います。

 

 

 

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最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。
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