総合職など要らない!
総合職などいらない!
でもなぜ?
それを説明するために2019年9/2の日本経済新聞の記事を紹介させてください。
見つけたときは、目から鱗でした。
正しくは目から鱗というより、自分が潜在的に抱いていた思考を言語化された文章に出会ったという感覚の方が近いでしょうか。
早速、その記事を紹介しますが、
重要だと感じた部分を一部抜粋・要約し載せます。
『日本の転勤問題 世界に倣い希望者のみに』
(2019年9/2の日本経済新聞)
著者:立命館アジア太平洋大学学長 出口治明氏
「日本で会社都合での転勤が慣習となった背景には、戦後の人口増加や高度成長を前提とした一括採用、終身雇用、年功序列という労働慣行がある。また、「一生の雇用」を前提に、いろいろな職場を経験させた(ジョブローテーション)方が使いやすいという理由もある。その延長で、いつでも転勤可能な総合職が出世コースになった。一方、海外では経営層を除き、希望した人だけが転職する。
この転勤制度は以下の歪んだ2つの考え方の上に成り立ってきた。
①会社が「社員は地域社会と関係がない」と考えている点
②パートナーは専業主婦(夫)で黙ってついてくるしかないと思っている点
転勤に伴い発生する単身赴任も日本独特だ。こんな家族の絆を断ち切る非人間的な制度を続ければ、若い優秀な人がどんどん流出して企業は衰退していく。非希望者に転勤させるのは制度によるパワハラだ。転勤は希望者だけというグローバルな労働慣行を打ち立てるべきである。
これに対し、「都市部への転勤は希望者が一定存在するだろうが、過疎地への転勤は希望者が少なくなってしまう。」という反論がある。これは「過疎地における就業者数減少」を引き起こすと考えられている。
しかし、この課題には解決策・対案がある。それは「社内に希望者がいなければ、地元で採用すればいい」ということである。その企業は地元で大歓迎される上、地元社員は地域をよく知るので企業にもメリットがある。
だから、希望者のみ転勤で全く問題はない。非希望者を強制的に転勤させるのは人権侵害だ。また、今年の新入社員に「今の会社で何年働くか」を尋ねたら、「5年以内」と答えた人が37%だ。
世界に目を向けると、有能な人は転勤がなくても出世していく。自分のそばにいる社員しか評価できない経営者は無能だ。地方にいる人が優秀ならトップに据えればいい。自分のそばにいる社員しか評価できない経営者は無能だ。実績を重視すればどこにいようと優秀者は数字で分かるため、まずは転勤可能な総合職が一番上だという悪習をとっぱらわないといけない。」
記事は以上の内容です。
この記事から私が思ったことは、
今後は日本でも海外と同じように、転勤は希望者だけにするべき。そのためには企業が持つ「採用・働き方の体系」が多様化していく必要がある。
ということです。
この考えを前提に、現在の日本において「転勤」を生む主な要因となっている総合職という働き方に注目して考えてみましょう。
総合職という働き方は一見すると、多様性のある生き方を認めているように見えます。
職種名の通り、ほとんどの企業の総合職にはジョブローテーション制度があり、多様な職場を経験することができるからです。
加えて基本的に経営幹部候補としての採用であるために選ばれやすい。
しかし、そのために職種選択における思考を停止させているのではないのでしょうか。
就活時に「どこ」に入りたいかは何と無く決められるけど、専門性を持たない自分がその会社・業界で「なに」をやりたいかは分からない。という学生を生み、それでよしとしてしまう採用方法といえるからです。
就職後のジョブローテーションで自分にあった職種を探せるから良心的だという意見もありますが
多様な職場を経験することには弊害もある
ということを忘れてはいけません。
その一つが望まぬ転勤。
望まぬ転勤はこの記事で書いていた通り、非希望者にとって非人間的な制度です。
つまり、
転勤を希望していない人にとって、転勤は自分の理想の人生(自由)を否定する制度なんです。
総合職という働き方は一見すると、『多様性のある生き方』を認めているように見えます。しかし、このように自分の理想の生活を実現できないというのは『多様性のある生き方』に大きく反するのではないでしょうか。
人間としての根本の多様性を本当の多様性とするならば、それを縛っているのもまた総合職という「多様性」
だといえると思います。
本来ならば、家族や個人の生活の多様性が働き方を選択させるはずであるのに、総合職という働き方のために家族や個人の生活が選択されてしまっています。
私が言いたいのは
働き方は生き方という重要なものの上に成り立つ二次的な「多様性」であるべき。
ということです
だからこそ、これからは生き方を重んじた採用、働き方の体系を企業側が改革していかなければならないのではないでしょうか。